あなたは、
…というのも、
日々、私(もぐもぐ)もそうですが、ロービジョンの人たちの“見え方”って意外と実情が知られていないので誤解されたりしながら
毎日を過ごしていることが多いようなので。あえて書いてみます。
とりあえず教科書的な定義から。ご説明しますね。
ロービジョンという概念は、弱視とは一線を画します。
日本の文部科学省では、視力が0.02未満であることを盲、0.02〜0.04未満を準盲、0.04〜0.3未満を弱視と定義しています。また、世界保健機関(WHO)では、視力が0.05未満を盲、0.05〜0.3未満であることをロービジョンと区分しています。
しかし、たとえば視力はあるのに視野が10度の求心性狭窄(60cm離れたところで10cmの円のなかしか見えない)のために日常生活で苦労している方がいたりもします。
また、日本語にはひらがなのほかに、片かなや漢字、アルファベットなどさまざまな文字が含まれているためアルファベットだけの文章よりもより良い視覚が必要となっています。考えてみると分かると思いますが、「漢字」なんて文字の形がいっぱいあるじゃないですか?あれを一目見て分かるのってすごいことだと思いませんか?
失礼しました。話が脱線したので話を元に戻して、 そのため現在の日本では、手動弁以上の視力があり、眼鏡を使用しても日常生活に支障があり困難を感じている方のことをロービジョン者と定義しています。また、ロービジョンという概念についても、現在では低視力としてではなく低視覚として、日常生活に支障があり困難を感じることについて、視力障害だけではなく視野障害や色覚異常、調節障害、複視など、さまざまな視覚機能の障害についてもとらえられるようになっています。
つまり、弱視とは、視力をものさしに考えられたひとつの基準でしかありません。
視力が数値化されるということは、全く見えないこととは違います。たとえ、
視力が盲または準盲、弱視という言葉で表現されたとしても、毎日の暮らしにおいてその眼が
何の役にも立たないのかと言われたら“それは違う”と私は答えます。
現に私自身が強いコントラストの配色である程度以上の大きさの文字は
判読が可能なように…。(むやみに大きいとこれまた視野に入らないのですが…(汗)。)
と、まあ、このようにロービジョンとは幅の広い概念であり、人により目の状況はまちまちで
あるので大雑把に説明することはセンシティブな問題をも含んでいるので
難しいのですが、
この頁では私が感じていることを書いていこうと思います。
以下、余談ですが。
ロービジョンの概念が浸透していなかった時代には、専門家でも
「ロービジョンについて教えてください。」とお願いしても
概念の説明のつかない方もいらっしゃるようでしたが…。
いまは大分浸透してきて、徐々にではありますが、
説明をきちんとしてもらえるところも増えてきたようです。大学病院などは「ロービジョン外来」という呼称で
専門外来をおいて対応してくださるところも増えてきています。
また、いままで視覚障害者として生きてきた中で白杖を使用した歩行指導については何度となく
触れられてきたが、
ただの一度も、そう、一度も「ロービジョン」ならではの歩行のテクニックについて歩行訓練士から解説をされたことは
一度たりともなかったのですから。
いかに見落とされてきたか、というのがお分かりかと思います。
ま、もっとも今は各所でロービジョンケアが行われているから大丈夫でしょうけども…。
贔屓目に、考えても
教育現場において日本のロービジョンに関しての歩行の現状が偏っているというか、否、
知られていなかったというのが見えてくるかと思います。
今見えている景色にそれ以上の
ものを見ることは出来ないかと、私も考えた事がありましたが、
その状態で町を歩くことはかなりの危険を伴うことが予想され、あきらめました。
これは研究をしていくに足るだけの
問題であるように私は感じています。
以下ロービジョンの診察について、怒りを感じたことを文章にぶつけてみました。
ちょっと放言かもしれないので、気になる人だけ読んでください。
たしかに
医師の言うとおり「視野が減少すれば歩行に支障をきたす」というのはある。事実ではあるが
あまりにも机上の論に過ぎてはいないか。
ネズミのような哺乳動物は、馴染みの場所のマップを脳内に持っている。
こうしたマップは馴染みの環境内の特定場所にある時に発火(fire)する錐体細胞(place cell)からつくられる。
というのは生物学的に立証されているというのは
ブリストル大学の研究でも見つけられているし、
ましてや
視覚障害者のリハビリテーションの現場では“メンタルマップ”というのはしばしば言われている内容に
過ぎないのだから。
以下、日記から抜き出したものを貼り付けました。
「なんですたすた歩けるのか疑問だ」と仰る医療従事者の方もおられるのが悲しいところですが。
あくまでもそう仰るのなら私の白杖一番下の段と
石突の先を見て欲しいと思わずにはいられない。もっとよく、
見えているのなら杖を振らずに「シンボルケーン」としてしか使用しないと思うのは
道理に適わないのだろうか?
それに私が自分の見え方を説明する際に用いた、
「水中眼鏡をせずに目を開けて水の中に潜っている状態に近い」と
言う説明がそんなに理解しがたい
内容だったのだろうか?これでも
晴眼者にとっては一番簡単で理解しやすい比喩を用いて説明をしたつもりなのだが。
「それは見えているということじゃないの?」というのはどういうことなのか?
なにも「見えていない」とは一言もいってないのをお忘れか?影がレチネックスの遮光眼鏡で
コントラストが強まった結果、楽に歩けるようになったと
報告したのをあなたがたはカルテに記載していないと
いうことなのだろうか?私は鮮明に覚えているけども…。
屈折率が異なるためぼやけて見えるのはあなた方も習ったはずでしょうけど、その意味を理解なさってらっしゃらない
様子なのか、この発言には甚だしく疑問を呈さざるを得ない。水晶体の問題もそうだが視神経の萎縮があるというのも
元はといえば主治医の側からの発言であったはずだ。見え方にしても、今の私には比較対照すべき基準というものが
はっきりいって見当たらないのが現実なのだから。客観的な指標としてのランドルトも必要だとは思うものの、もう少し
主訴をしっかりと取って欲しいと思わずにはいられないのだ。
私に感じることの出来るはっきりとした異常とその
「見え方」と、眼球後部の鈍痛というかたちでしか分からないのだから。
私の揚げ足を取ろうとしているのではないのなら、目の状態をしっかりと私から聞いて欲しいものだ。
また、私は今年になってからでも、最大では一日に20キロ、
平均では一日に5キロくらいは
ほぼ毎日歩いているのだというのを彼は生活歴の聴取をしないものだから、知らないものと思われる。
結果的には、このような見当はずれの発言が出てくるのでしょう。
はっきりここで言わせてもらうけど、
患者の生活暦をしっかり聴かない医師は逝ってよし!
これだけ毎日歩いていればたいていの状況を判断するに足るだけの観察力はついてくると思うのだが、それを念頭に
置きもせずに「なんですたすた歩けるのか疑問だ」などと考えるのか
その発言が合理的で正鵠を得たものなのかを、今一度考えてみて欲しいと強く願わずにはいられないと私は思う。
私などは視力の低下以後、周囲から(まあロービジョンという概念は知らない人が多いので仕方がないのかもしれませんが)中途半端な扱いを受けてきただけに、(人によってはあからさまに“うそをついている”とまでのたまったものまでいたりもしました。)これで、
少しでも「生きやすく」なるのは喜ばしいことだと思っています。
ここでは“Lowvision”という言葉の定義を光覚以上の視力で、
実際の日常生活や社会生活、経済生活において、何らかの支障をきたしている視覚機能全体のことをさすことにします。
これらの問題を考えるときには視力だけではなく、視野や色覚、コントラスト感度の状態など、さまざまな保有視覚機能全体を捉えて考えることになるのです。
以下、本稿では弱視者のおかれている環境について簡単に述べさせていただきます。
説明に至らない点も多々あるかと思うが、適宜補足していきますので参考程度に
お聞きくださるとうれしく思います。
まず、はじめに。
視覚障害者といっても、光を感じない全盲の方と
全盲であっても光を感じる光覚の方、
そして私のように弱視といわれる種類の人間がおります。
ひとことで“弱視”といえども人により状況は様々なのです。
人によっては状況によっては晴眼者と遜色のないような見え方をする方もいれば、
数値の上では弱視とされているが見え方は限りなく光覚にちかい方まで千差万別であります。
私を例にとっても、外見からはわかりにくいため、普段つきあっている人であっても
見え方がわかってもらえないこともしばしばなことは日常茶飯事です。
コントラストの強弱や光線の度合い、その他の要因によって見え方は一時として
同じではないんです。
お店の中で空席を聞いたときや、道を聞いたときにしばしばなされる「あちらです」、「こちらです」の指示は、
見えていれば「ああそうですか。ありがとうございました。」といえるのに、
そこからまたその方向に何があるかを
問わねばならない。相手はそれが(事前に申し伝えてあっても)わからないのか忘れるのか、
怪訝な顔をする…というのが何度も繰り返され、仕方ないので眼がいたくなっても、疲れ切っても
眼を無理に使い続けることを行う結果に陥るのだ。
目という器官は解剖学的には脳の一部が変化して作られたとされ、
それを使うことで悪くなるということは通常あり得ないといわれるが、その周りを取り囲む
運動器官である筋肉の疲労などが(不随意運動などで)蓄積しやすかったりすると
その使用に支障を来すことは十分に考えられることであります。
話はやや本筋からずれますが、
視覚障害者の間でもしばしばいわれている、「目を使うと悪くなる」という俗説は
上記の理由により、勘違いという側面もたぶんに考慮されてしかるべき事柄であると
私は考えていますが・・・。
話を元に戻して、
「見えている」と相手の目で判断されて、ほったらかしにされたあげくあちこちを何度もぶつけたり
ものをlこわして怒られたりもしたが、私の不注意以上に周囲の無理解という要因は大きい。
人間は“二分法”で物事を分類しとらえることをしてきた。
文明の発展もそのような概念の発達が大いに関わったのはいうまでもないことは
先刻承知の上であるが、そのカテゴリイに含まれない部分で割をくう人のなんと多いことか。
以上長くなってしまいましたが、前置きとさせていただきます。
ここでは主にZoomtextという画面拡大ソフトの用法について説明させて頂きます。
Zoomtextについては以下の通り説明させて頂きます。
Zoomtextとは、米国で開発された製品で、日本ではNECソフトウェアが販売している
商品で、米国版に比べ単体での音声読み上げがなされないなどの機能のダウンを
余儀なくされています。
同ソフトでは通常、同製品はマウスを使ってコントロールしますが、元々マウスを用いないでパソコンを
使ってきた人にとっては画面の一部が突然巨大化されることでととまどいを起こす方もおられるよう
です。
機能としては大きく分けてLevel1、Level2の二つに分かれており、Level1は音声を
Level2は主に文字を拡大することが役割となっています。
主に安定して視力を用いられる方にとってはこのZoomtextというソフトはきわめてパソコンを
利用する上で助けとなることが多いように思えます。
画面の拡大倍率は16倍までなっており、
フルに画面を拡大すると私の視野では収まりません。(笑)
以上不充分ではありますが、これを持って私の解説とさせて頂きます。
ご静聴ありがとうございました。
以下、長くなるので、Lowvision #1はおわりとします。ありがとうございました。お疲れ様でした。
以下余談ですが。
“メンタルマップ”という概念はタッチタイピングに際しての
キーボードの各キーの位置の把握においても有用であるのは
言うまでもないことです。(以下〜より200410190032加筆)